2011年6月25日(土)
【公開講座】文化財vs文化資源 +【大学院】芸術・文化環境論
学外演習・軍艦島踏査
天候が心配される中,無事目的の軍艦島(端島)への上陸を果たすことができました.総勢55名での参加,多彩な人たちが集まり,ひとつの島を想うひとときは静かでいて熱いものでした.
なんと言っても,メンバーが凄い.前日の荒尾フィールドワークに引き続いて北海道から参加の炭鉱の記憶推進委員会のメンバーの皆様,東京・東洋美術学院ACTYの皆様,ふ印ラボ・メンバーにも勝る行動派の公開講座受講生の皆様,大学院「芸術・文化環境論」の履修学生.ひとりひとりがそれぞれの想いを胸に臨んだ軍艦島は一体どのように見えたのか.何を感じたのか.一観察者としてここに少しでも書き記したいと思います.
荒れる波に揺れながら何とか上陸した軍艦島は,周囲の天候とは裏腹に静かに佇んでいました.怖いくらいの静寂の中響く,坂本道徳さん(軍艦島を世界遺産にする会・理事長)の明瞭な声とその語りに誰もが心を奪われていたように思います.坂本さんの解説は,島の解説にとどまらず,そこでの記憶や気持ち,さらにはわたしたちの未来への警告へと展開します.当時の生活の様子や炭鉱の様子が目の前に甦り,眼前に広がる建物と重なって見えたような気がしました.そして,これがこの先の未来の姿なのだと指摘される坂本さんの声には,37年の月日を経ても変わらず故郷を思う気持ちや愛情が込められていたように思います.
誤解を恐れずに言うと,端島は「使い捨てられた都市」だとわたしは思います.閉山当時1974年(昭和49年)はまさに経済が安定成長期に入ったころ.それまでの高度経済成長で,国のエネルギー政策は大きく変容し,石油産業への転換,原子力発電も稼働を始め,石炭産業は一気に斜陽化します.確かに石炭産業は過酷極まる作業の上で成り立つもので,採算がとれない等の理由で転換を余儀なくされた部分もあるでしょう.この三菱端島炭鉱は唯一の黒字閉山した炭鉱だと聞きました.だとすると,どうしても,「必要なくなった」という印象が拭いきれないし,これだけの都市が一日にして無人化したという事実の根底に,当時の社会の,上へ上へという気分とエゴを感じざるを得ない部分があります.だからこそ,今,坂本さんが語る未来への警鐘がリアルにズシンと重くのしかかってくるのだと思います.当時の島民の人たち,そして今端島を故郷として懐かしんでいる人たちの気持ちを推し量ると,「捨てる」なんて言い方は不適切かもしれません.しかし,そうだったからこそ端島という都市は今でも記憶に満ちた場所であり続け,重要なメッセージを発信しているように思うのでした.
今後,世界遺産登録へ向けて新たな転換期を迎える軍艦島は,炭鉱,建築,生活文化,様々な文脈で加速度的に語られていくでしょう.その際,どのテーマに対しても大切にするべきことは,そこに人がいたということだと思います.今回の上陸,雨の中での講師・NPO軍艦島を世界遺産にする会理事長でもある坂本道徳さんの熱い語り口調の解説を聞きながら,そのように思うひとときでした.