建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、九州大学藤原惠洋(ふじはらけいよう)名誉教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!

地震前にあるフリーペーパーの求めで書いたテクストです。
4月1日に発行され、
いろいろなところに置かれました。お時間があるときに目を通していただければ。



ひとつの時代が終わろうとしている

芹沢高志

 

思い返してみよう。今から半世紀前の1961412日、私たち人類は、
初めてこの目で自分自身の姿を見た。そして、鏡に一瞥を投げた思春期の
少女のように、驚きと高ぶり,怖れと恍惚が入り交じるなか、
思わず口に出したのだ。「地球は青かった」と。

ソ連の空軍少佐、ユーリー・ガガーリンが「東方」という名の宇宙船に乗って
地球の周りを一周して以来、私たちの意識は確実にグローバル化していった。

頭のなかで想像しているのと、実際にこの目で見るのとでは,やはり大きな
違いがある。あの日ガガーリンがたったひとりで見た青く輝く地球の姿は、
その後数々の映像として、繰り返し、繰り返し、私たちの日常に流れ込んでくる。
地球という惑星の姿が、みんなにとって、ごくごく身近なものになっていったのだ。
そしてそれと呼応するように、私たちの経験のステージもゆっくりと変わっていった。

 

 

今でもときどき思いだす。1964年のたぶん1017日、母がムキになって
台所でキャベツを洗っていた。「なんでそんなにしつこく洗うの?」
「中国が核実験をしたのよ。死の灰がついてるといけないじゃない。
これからは雨にぬれちゃいけないよ。髪の毛が抜けちゃうからね」

私は13歳で、当時は国交もなかった中国は遠い異国にすぎなかった。
しかしその、日常から遠く離れた世界の出来事が,私の母に、必死にキャベツを
洗わせる。そのつながりがとてつもなく不思議でならなかった。私は初めて、
世界がくっついていることを実感した。

おそらく、あの頃、みんながそんなふうに予感を持ちはじめていたのだろう。
環境に放出された
DDTが生態系に忍び込み、食物連鎖で濃縮されて、
世界のすべてを汚染していく。春が来ても花は咲かず、鳥も啼かず、
『沈黙の春』が来るかもしれないと、生物学者レーチェル・カーソンが警告の書を
出版したのはその
2年前、1962年のことだった。

通信衛星を使った日米間のテレビ中継実験が成功したのは1963
1123日だが、そこに映し出されたのは、前日のジョン・F・ケネディ暗殺に
沈み込んだニューヨークの街だった。その後テレビは、世界の出来事を映像として、
次から次へと日々の茶の間に投げ込んでくる。世界はこんなにも広く、
こんなにも多様で、こんなにも多くの出来事が起こっていると、私たちは
日々の暮らしのなかで知ることになった。

 

あれから50年が経つ。インターネットの普及や経済のグローバル化といった
新しい動きが進展しているが、ガガーリンから始まった大きな流れは変わって
いないだろう。そう、流れの大筋は変わっていない。しかし、また別のステージが
現れはじめているような、そんな予感も持つのである。

なぜ、そう思うのか?それは、私たちみんながなんとなく苛立っているからだ。

ここ日本では、いやおそらくは欧米の多くの国々でも、わけのわからぬ閉塞感が
社会を覆いつくしている。その一方で、中東各地では大きな構造変動が,
今まさに起こりつつある。直接の理由はさまざまでも、とにかくこれまでの
やり方がうまくいかなくなっているということだ。

意識のグローバル化は科学技術や経済や文化のグローバル化も加速させ、
環境やサービスや製品やライフスタイルの均一化が急速に進んで、これまで
多様だったローカルな生の現場は極端に消耗しきっている。少なくとも、
世界の巨大都市に限って言えば、すでにどこの街に行ったところで、
だいたいは同じようなもの。個性もなく、ただ高層ビルが立ち並ぶ。
また技術や経済は軽々と国境を越え、約束事としての国境を、だんだん意味の
ないものに変えつつある。次々生まれてくる山積みの問題を前にして、
どの国家も有効な突破口を見いだせない。

言い過ぎだという意見もあるかもしれないが、私はこれまでの国家という枠組み
自体が、そろそろ老朽化しつつあるのではないかと思う。それは体制とか
イデオロギーの問題ではない。国家、あるいは国民国家という概念そのものが、
崩れはじめているのではないかと感じる。

 

それで、50年後の私個人はといえば、かなり複雑な気分でいる。

1951年に生まれた私は、さまざまなグローバル化をライブで体験してきたし、
ごく自然に、この地球そのものを「故郷」と感じる。そう思うのが,感覚的にも
一番心地良かったからだ。「地球人」としての私の意識は、この惑星の自然や
文化の多様性をなによりも大切に考えてきたが、しかしその同じ意識が経済の
グローバル化を推進し、環境や生活を均一化し、多様性を抹殺してきたのなら、
なんて矛盾に満ちた悲しみだろう。地球社会を平衡化させていくグローバル化なんて、
私はまっぴらごめんなのだ。

歩いて旅する人には肌を通してわかることだが、この惑星は生態学的地理学的な
同質性によってさまざまなユニットに分かれており、気候風土といっても
良いかもしれないが、そういう現実の方が、国家の境界や行政界より私には
ずっとピンと来る。私が地球人と言う場合、こうした多領域が連続して共存する
惑星環境への愛着であり、均一な地球社会を念頭に置いたものではない。

 

友人の文筆家、星川淳は、彼自身のことを「在日地球人」と規定していたが、
この感覚は私にも見事に当てはまる。それはかつてスティングが歌った
「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」、つまり「リーガル・エイリアン」、
合法的な異邦人に通じる感覚で、その点ではつねに居心地の悪さを感じてきた。
しかし今はそれどころではない。そもそも私を地球人と感じさせている根拠、
生態学的あるいは文化的多様性そのものがこの星から消え去ろうとしているのだ。
言ってみれば、故郷喪失の危機にも等しい。


私が思いつくことなどたかが知れているが、しかしこれだけは信じられると
思うのは、拡大成長の神話は確実に終わった、あるいは終わらさねばならない
ということだ。地球人としての意識を維持したまま、地球平衡化に立ち向かう
としたら、マッチョな物質的拡大思考に終止符を打ち、われわれは創造的な
縮小に向かわねばならない。
GDPが中国に抜かれてもインドに抜かれても、
かまわないじゃないか。国の理念として、経済的な繁栄より精神的な充足を
重視するブータンのような国だってある。われわれには、もっと
注力すべきことがあるはずだ。

 

60年代に言われていたより長持ちはしているものの、そろそろ石油も
底をつき始める。
枯渇しないまでも、湯水のように使うには,値段が高すぎる状況になっていくだろう。
石油に代わる化石燃料もあれこれ取沙汰されるけれど、真っ当に考えれば、
バックミンスター・フラーが『宇宙船地球号操縦マニュアル』で言っていたように、
地球としてのエネルギー収支を考えていくしか他にない。化石燃料は地球社会の
メインエンジンに点火するためのセルフスターターなのであり、ならば私たちは
あれこれ考えず、化石燃料を燃やして、まずこの地球社会に自然エネルギーの
利用システムを構築しなければならない。絶妙な位置で燃え続けるエネルギー
供給母船太陽号や重力バイブレーターである月号、そして地球号内部の高圧環境が
生み出す地熱や振動に注目して、それらが生み出すエネルギーだけでやりくり
していく収支を考えねばならない。こう言うとすぐ、自然エネルギーだけでは
われわれの社会の活動を維持できないと言われるが、それなら逆に、
それでまかなえるだけのエネルギーしか使わない社会をつくればいい。
それが創造的縮小というものだ。物質的な意味での縮小は恐れるに足らない。
絶対に避けねばならないのは想像力の縮小なのだが、現実はその逆になっている。
 

とはいえ、今の政治や社会がこうした課題に応えてくれるのか、自信はない。
ならばどうするか?こう言ってしまえば元も子もないけれど、結局は個人個人の
美意識に戻るしかない。自分自身で鏡を見て、そんな生き方は醜くないか、
心の声に耳を傾ける。群れて、美意識を平均化してはいけないし、他人を理由に
する必要もない。個人の美意識に従って、個人にできることをやりぬくだけだ。
 

 

この星の姿を初めて見た時のように、今、あらためて自分自身の姿を見つめる。

50年後の私自身の決意である。

 

Think the Earth PAPER vol.820114月発行予定)

 

 

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