建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、九州大学藤原惠洋(ふじはらけいよう)名誉教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!

未建築な建築/この未完なものの素晴らしさ

藤原惠洋 (九州大学大学院芸術工学研究院教授・建築史家・工学博士)
掲載先 NPO法人 アート&ソサイエティ研究センター
http://www.art-society.com/?p=438#more-438

1.プロローグもしくは建築の省察への径(みち)
2.小屋への偏愛
3.津久見市のミカン小屋との邂逅
4.ミカン小屋の建築性
5.ミカン小屋の成立の背景
6.今和次郎の感受性で
7.建築の初源へ



1.プロローグもしくは建築の省察への径(みち)
建築をあらためて味わい直すこと。いくつかの出来事が偶然に符合するかたちで老境の私にもたらされている。自分を見つめる鏡など持ちはしないが、まわりに生じている状況をたぐり寄せながら、この偶然をどう必然に変えて行けるのか、ふたたびの省察よろしく考えてみるのも悪くない。

1970年代に学生として建築を真摯に学ぼうと志した頃、鉄とガラスとコンクリートという素材に基づく近代主義(モダニズム)建築が前提とされていた。わずか数年の後、その禁欲ぶりが諧謔的に乗り越えられようとして、いわゆるポスト・モダニズム建築が流行り出した。当時は十分に無垢だった建築学徒にとって幸いだったのか不幸だったのか、今もって知る由もない。なぜなら熱情的な思いをもって建築デザインの世界に漕ぎ出そうとしながら、わずか数歩踏み込んだだけで頓挫してしまったからだ。建築外に理由を背負って、なにも果たせぬまま、いち早く私は建築デザイン世界の傍観者を決め込んだ。

つまり創らず、手を染めず、近寄らず、常に建築を内省すること。長い間、私がとり続けたスタンスは省察への径を掃き清める小坊主のような態度にほかならない。 

2.小屋への偏愛
だからなのか。建築ではなく、小屋への偏愛がある。しかも私はそれらを小屋とは呼ばず、未建築な建築、と長らく称してきた。完成度や建築デザインの強度のようなものを直視せず、むしろ未完成さや未成熟さを念頭に置きながら、それらをゆっくりと愛でてみようという嗜好である。

ところで人の成長を見る言葉に「ビルドゥングスロマン」という概念があるように、人間的成熟と建物を構築していくことが、すこぶる近似していることは興味深い。ヒトとして成長し、道徳的に立派になることが社会的には是とされることと同じく、構築されるものには予定調和とも言える設計行為や丁寧な細部の納まりが戦略的に用意される必要がある。本来の建築デザインとはこのように誇らしげな作業を言うのだろう。律儀な建築学徒として奮闘していた頃の記憶を辿っていけば、そのことはどこかでわかっていても、実際の設計行為の現場には数えきれないほどの外的要因のジグゾーパズル的組み合わせが立ちはだかっており、この間の設計行為のほとんどが対立や対峙の調停作業であった。

そのためか、設計事務所での無限軌道のような仕事にわずかな暇が見つかると、私は町の路地裏や田舎風情の中の未建築な建築を味わいに一夜の漂泊やささやかな旅へ出た。近代特有の素材や頑迷な自我や意識によって構築された建築が鎮座し屹立し社会を睥睨する、のではなく、自分の足元とつながった大地や風土の中に静かに佇む存在感に感じ入っては、どこか酔いしれた。設計事務所での予定調和を構築していく作業に余儀なくされながらも、感受性のレベルではどんどん傍観行為へ傾斜していく。こうした若い時期の自堕落な行為に含まれた私自身の未建築な建築の探訪作業とはいったい何だったのか、今もって正直に語ることはできない。現実逃避か。風化の美学か。完成を阻んだり、自己解体に至るような真似も設計行為以外に繰り返した。

このような自家撞着とも言える長くて蒙いトンネルをようやく抜け出そうとしているのかもしれない。最近になり、小屋や未建築な建築に対する冷静な分析作業への関心がとみに生じて来た。ここには写真家の藤田洋三氏が愚直にも唱えてきた「世間遺産」的な現象の愛し方や見つめ方といった御指南が効いている。 

3.津久見市のミカン小屋との邂逅
最近のことだが、私は仲間たちと大分県津久見市に集い、前々から気になっていた小規模建物群の緊急調査を実施した。とは言っても、可及的速やかな保存や再生が求められるどこかの中央郵便局のような切羽詰まった問題があるわけではない。豊後水道に映る津久見市の背後に広がる崖地の特産みかん畑の中でぽつぽつと見えている何気ない小屋。このささやかな積石造建築を学術的に検証してみたいと強く思っていた。そこで腕の達者な面々と本気の調査に及んだのだった。

せいぜい幅4メートル、長さ5メートル程度のささやかな小屋に過ぎない。津久見市のミカン山なら、どこにでもある。じつにその数二百有余。見上げながら魅力や不思議さに取り憑かれた先達がまだ若い加茂恵介氏。家業の傍ら、原付バイクでミカン山に点在する小屋の基礎調査を続けた。いったいいつの頃から生じたのだろうか?どれくらい津久見に存在したのか?そしてこれからどうなるのだろうか?と。

藤田洋三氏が泥の詩人と呼ぶ「月刊左官教室」編集長小林澄夫氏を誘い、この小屋の探訪に及んだのが15年程前のこと。月日は経ったものの、他者の視線をようやく土地の青年が受けとめ、地域固有の価値として見つめ直そうとしている。私に与えられた前情報はこうした不定形なものに過ぎなかった。

ところで津久見市はミカンとセメントの産地である。ミカン小屋の材料に石灰石と石灰製造過程で生じる下灰(げばい)が用いられるのも偶然ではない。下灰と土には海岸から塩水を汲んで混ぜると硬化が進み三和(たたき)土ができる。地産の資源が生かされている。同時に、ミカン小屋は豊後水道の対岸に広がる愛媛ミカンと競合しないよう二ヶ月もの保管を重ねて出荷時期を調整するための貯蔵保管庫の性格を持つ。そのため津久見ではミカンは巨大な産業となった。津久見市ならではの近代化遺産と言ってもよい。 

4.ミカン小屋の建築性
今回は山地の斜面を棚田状態に開墾したミカン畑の中に分け入り、合計7棟の実測調査と詳細な検討を実施した。その結果、意外なことが判明した。

ミカン小屋の基本的な構造は壁構造である。石灰石をおおむね垂直に積み上げ、その隙間を三和土で充填した分厚い壁を構造体として持つ。一方、内部のミカン箱を載せる木棚は壁から自立した構造となっており、同時に小屋組も壁上端に梁・桁を載せ、そこから京呂組で小屋架けをし、中央に束を立てて棟木を支え、ここから垂木を架けたものが大半であった。いわば積石造と在来木造を巧みに取り合わせた混構造である。 

加茂氏によれば、現地ではミカン小屋は素人によって建てられたと伝えられている。現在、利用されているミカン農家の先代や先々代によって建てられたという伝聞が多い。しかし積石造と在来木造の構造体をつぶさに見ていると、優れた技や熟練した技術が見られる。付近の石灰工場からもらってきた下灰を活用したという。石灰石と杉の間伐材等の利用も含め、典型的な地産地消である。しかし古来から生み出された構造手法である版築(はんちく)は高いレベルにある。だが材料の切り出しや表面の仕上げはたしかに粗い。石灰石も間伐材の表面は荒々しく削られ、そのことがかえって野趣味な味わいを醸し出している。小屋架普請を大工が造作した場合もあったに違いない。棟木周辺に普請時の記録がないものか、と探した結果、津久見市千怒(ちぬ)の新地斜面に建てられたもの一棟に「昭和二十九年」の墨書が確認された。この地域は新しいミカン山と言われ、この小屋も一度建て直されたことがあると伝聞されるものの、それでも築後54年を過ぎていることが判明した。

こうした三和仕上げの壁を津久見ではオオ壁と呼ぶが、ミカン小屋以外にも蔵、石垣、家屋の基礎周り、練り塀、井戸や水槽・水溜の縁壁、道路表面の舗装等に見られる。石灰石から造った石灰と山の土と海水の灰汁(あく)の混合によって堅い仕上げ面が生まれる。

わが国では明治期の土木界や明治末期から大正期にかけての建築界がコンクリート技術をヨーロッパから習得する以前、在来の壁や構造技法として三和土を用いた壁技法が成立しており、大規模な建設では築城や港湾の波止場を構築している。とくに建築では、構造柱や梁・桁の姿をそのまま見せる真壁づくりに対し、防火を旨として構造体を壁の中に隠した大壁づくりが広がるが、津久見で言うオオ壁もこの技術とつながるものであろう。今回の実測調査では、まずこのような高い建築性を認めることができた。 

5.ミカン小屋の成立の背景
ミカン小屋所有者に稼働内容を聞き取ると次のようである。

10月中旬から早生ミカンの収穫が始まる。その後、12月から温州ミカンの収穫が続く。2週間から3週間で収穫で急ぎ終える。まず木造のミカン箱に詰める。一方、ミカン小屋の中の木棚に割竹を簀の子状に敷き、その上に箱を並べて保管する。正月の市場に出す頃まで最長で2ヶ月程度保管が効くという。

保管したうえで出荷するという津久見ならではのロジスティック手法のメリットは対岸の愛媛みかんと出荷時期をずらすことができる点、さらには保管するとその分、甘味を増すといわれる。

そのため、ほとんど開口部を持たず密閉された倉庫空間には、通風性を高める換気穴が壁の上下や床下に煙突効果となるよう穿たれており、石灰の影響も加味されて保管期間が優れて長いと考えられる。

ミカン小屋は、ほとんどの形状が、平屋に切妻屋根を小屋架しただけの単純な家のかたちとなっている。その規模と形状は、元来開墾された狭い区画の棚田の形状に影響されている。配置の法則性に関しては一定の方角を認めることができない。

傾斜地を利用して小屋の半を地中に埋めたものもある。中には2階建てがあるが、高低差を利用して入り口を違わせ、各階での搬出入作業がしやすくなっている。その場合、主として2階開口部から入れ、1階から取り出して市場に出荷するようである。

津久見市は大半が石灰岩による地勢を有しており、海岸部もリアス式の複雑な入り江を持つ。石灰焼きは江戸期に始まり、幕末には石灰産業が臼杵藩の特産となっている。近代以降、徐々にセメント産業や石灰製造が盛んになり、青江地区だけで100軒もの石灰工場が生まれている。そのため海岸部には積み出しの荷揚げ場が造成され積出港として整備され、大正年間には国鉄日豊本線津久見駅が開業している。大正6年桜セメント創業、同8年大分セメント、昭和9年太平セメントの工場が広がり、昭和13年に小野田セメントに合併吸収されている。戦後の高度成長期まで活況を呈し、

その後は会社規模を縮小・再編成しながら現在に至るが、今もなおセメント・石灰は津久見市の主要産業である。

一方、ミカン栽培は明治末期から開拓された。元来、津久見市はフィヨルドのような入り江が深く長く続き、田畑が極端に少ない。そのため農業以上に漁業や山林業が隆盛を極めた時期もあったが、明治の頃から山林業に付加価値を求め石見の国島根に学ぶように椎茸栽培の技が持ち帰られて、一気に流行っていった。クヌギに椎茸菌を打ち込むコマ打ち技術は全国でも屈指のものであった。全国各地へ技術指導に出回り、その収入で山林を取得していく。そのあがりを繰り返し椎茸に戻した者もいたが、目鼻が効く者はさらに次のアイデアに挑む。

豊後水道を挟んだ対岸は愛媛県宇和地方で、宇和島等には荒波を超える航路で簡単に行き来できる。潮風を受けて育つ愛媛みかんの甘味が高いことは世に知られている。海から見上げる斜面地のみかん栽培はわが国屈指の果樹産業を導き出した。この風景に注目したのが津久見の起業精神溢れた農家たちで、新たにみかん栽培を起こしたのだった。

しかし問題がひとつある。どんなに尽力しても先行する愛媛みかんの甘味や魅力を超えることができない。そこで誰かがふと思いついたのが、出荷時期を遅らせ市場に出せないものか、ということ。みかん小屋は現代的に言えば、このロジスティクスを叶えるために考案された保管倉庫にほかならない。11月から正月へかけて全国の市場へ愛媛みかんが出回った後、ゆるりと津久見みかんが流通しだす。

ここで意外なメリットがさらに見つかってみかん農家の面々は小躍りする。津久見ならではの石灰石と三和土でつくったみかん小屋に保管していると、知らず甘味が増すというのだ。その期間は最大で2ヶ月という。腐りもせず甘味も増す。出荷時期も調整できる。そのうえ小屋の建設には潤沢な資金等不要で、みかん畑の一角にわずかな敷地を用意し、セルフビルドよろしく建前を進めていけばわずかな期間で完成する。すべてが良い事尽くめの小屋なのだ。 

6.今和次郎の感受性で
あらためて自分のことで恐縮だが、私は青年期、熱狂的に建築家をめざした。しかし手練手管のセンセイ方の足下で現場やクライアントとの打合せに応じていると気が引けてくる。建築を社会的に創出する作業は、崇高な創造作業である聖場面と現世の娑婆を相手にした丁々発止の俗場面とが入り交じり、気の弱さを少しでも見せれば、どんな素晴らしいアイデアやコンセプトも縮みあがらざるをえない。撤退の記憶ばかりが建築から思い出される。

その後、設計から撤退し建築史研究を目指した頃、考現学の創始者今和次郎を知った。明治以降のわが国の建築設計界には妙な学閥系統があり、そのことを師であった故村松貞次郎東大名誉教授は建築家山脈に例えて看破していた。公共性の強い官の系譜の頂点に東大閥があるとすれば、在野の早稲田はデザイン力が傑出しており、イチモクもニモクも置かれてきた。こうした前人未到な設計力や現場力の背景に、なにやら卓抜なフィールドワーク力や観察力や洞察力があるらしい。日本におけるコルビュジェの三大弟子の一人吉阪隆正や早大吉阪研究室が母体となったU研から象設計集団へ、さらには石山修武の仕事へ続く在野性は優れて独創的である。その壮大なバックボーンとして今和次郎の存在があった。

神田古書市あたりで戦前の今和次郎著書を蒐集した。巧みなスケッチと考現学採集は出色である。そのあげく何処にでもあるような農家ともあばら屋とも小屋ともつかない建物を累々と紹介していく。史上に残る「民家」という概念が与えられた一群の建築物である。それらを嘗めるように読みながら、うかつにもそれが素敵に感じられる。じつに複雑な気がする。

私の故郷にあったものとなんら違わない。間取りや構法こそ違えども、使用後の哀愁を帯びた茅葺きの雰囲気や、桧・杉・ヒバ等がついさっきまで里山に生きていた存在感をもって柱や梁を果たしている様子。地産地消や地域固有資源といった言葉も脳裏をよぎる。このとき初めて、理由もわからず小屋へ抱いていた偏愛を、今和次郎の視線を借りて理解できるような気がした。

あらためて津久見のミカン小屋を辿っておこう。かつて十年程前まで一村一品運動という地域おこしを率先して推進したのが大分県ならば、この小屋こそ、まさに地産地消の代表とでも言わなければならない優れモノである。津久見市と言えば石灰石産出地で知られる。その背後の石灰石や石灰を生かした三和土(たたき)の建築材料を駆使し、ミカン農家がみずから構築したぶ厚い壁。内側に混構造よろしく里山から生じる間伐材や廃材や転用材を使って保存棚を組む。換気システムも工夫し、ミカン収穫後の搬出入の工夫も怠らない。包括的に見ていけば、典型的な地域固有の建築にほかならない。 

7.建築の初源へ
昨年から九州大学大学院芸術工学研究院公開講座を企画し楽しんでいる。一連のテーマは、キーワードで言うと芸術、建築、初源である。世にさまざまな芸術や建築の様相が展開するものの、そのおおもとを辿っていけば、ひとつの思想や哲学に辿り着くのではないだろうか、そんな微かな予感があって、企画を創出した。

昨年度前半は「市民参加型アートの楽しみかた」、後半が「芸術の初源を探る」、そして今年度は前半に「21世紀の建築探偵VS考現学」と入門的内容を積み上げ、続く現在は「建築の初源を探る」を開講中である。おかげで多くの市民受講生が集い、講義と議論をたんのうしている。目玉は学外演習だろう。なにはともあれ実際の現場へ行き、建物や周辺環境をおおいに味わってみようと意欲的なフィールドワーク・プログラムを実施している。

たとえば現在の「建築の初源を探る」では、古代王朝との関係を強調される阿蘇神社や九州随一のエネルギースポットと名高い幣立神宮を訪ねた。続く演習メニューも目白押しであるが、最後の卒業演習には津久見市へ遠征し、このミカン小屋の実測調査を体験してもらうというメニューを用意している。

さてミカン小屋を建築としてどのように評価していくのか。あらためて論考をまとめたい。結論的に言えば、素晴らしい珠玉のような建築の原形であると私は考えている。その地の資源や資産を洞察し、発掘されたリソースに働きかけて建築へ育てていく行為が折り重ねられて、このミカン小屋は世に生まれ出た。

建築デザインとはかくあるべし。あらためてそう思える。

ささやかな小屋に過ぎないが、この中には悠然と広がる建築への想いが凝縮されているように思える。建築を味わい直すことができるのだ。むろん何処にもそのような企てや建築的野心を発揮したミカン農家などいたはずもない。勝手に実測調査を楽しむ私たちがそう夢想しただけのこと。しかし初源とも言える簡潔直裁なこの小屋を前に、あらためて建築を味わい直したいと思った私には、想像力を逞しくすれば、山川草木に宿る神への感受性や神籬から生まれ出た神社の社殿や、古代ギリシャが生み出したアテネの神殿建築へ営々と派生していく建築の原形に見えてしかたがない。決して完結も完成もしていない未完さがゆえに漂う初源性がふんだんに込められている。この未完性こそミカン小屋がもたらしてくれる最も重要な建築としての魅力だとあらためて認めなければならない。

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