京都に本拠を持つモノクロームサーカス主宰として全国各地神出鬼没の大活躍を展開中の坂本公成さんは福岡県八女市出身。年の瀬のひとときから年始にかけ福岡市内に滞在、福岡市民会館を用いてレパートリー作品『旅の道連れ』博多版を製作中です。
そんなご多忙中の坂本さんを博多湾に面した藤原惠洋研究室四阿の藍蟹堂(らんかいどう)にお招きして制作ねぎらいのひととき一献傾けることといたしました。いわばささやかな収穫祭。さてさて、今年最後の藍蟹堂お客様との語らいはいかなるひとときに?!
そんなご多忙中の坂本さんを博多湾に面した藤原惠洋研究室四阿の藍蟹堂(らんかいどう)にお招きして制作ねぎらいのひととき一献傾けることといたしました。いわばささやかな収穫祭。さてさて、今年最後の藍蟹堂お客様との語らいはいかなるひとときに?!
坂本さんは80年代終りに八女高校から京都大学文学部に入学。すぐに演劇を始めたものの、京都の身体系芸術表現の現場には、たとえばすでにダムタイプが立ちあがっており(次世代型のメディアアートを予言するかのような複合的な芸術表現の可能性を開拓していった異能集団として80年代なかばから90年代へ時代を大きく揺さぶっていた)、けっしてダムタイプ的ではない、演劇でもない映画でもダンスでもない、もっとなにか違う人のからだの風景や表現を探ってみたいと模索を重ねていたというのです。
当時の指導の先生は後の京都国立近代美術館館長岩城見一先生。坂本さんが自分の居場所を生み出していくことをゆっくりと見守ってくれていた様子で、さらに話題が広がったとき、ヨージヤマモトを着込んだ阪大総長として大評判のメルロ・ポンティ学者鷲田清一先生も(坂本氏曰く)「研究室の先輩」なんです、とのこと。哲学という規範を修学しながらも、そこにからだや動きへの気づきが通奏として流れていたのは、こうした精神風土の背景にもご縁がおありになるのだなと思えます。
若い頃は心もからだもずいぶんと彷徨ったとのこと。表現活動模索の激動の過程は、その後「身体との対話」を深めていくために必要な旅や漂泊や相克だったに違いありません。
鷲田作品を通してあらためて感じざるを得ないこと、と坂本さんがお話くださる話には共通点が多々ありました。
知らぬまに制度化されてしまった私たちのからだの感性をより自然な感受媒体に還していくには、目的語を伴う「待つ」や「聴く」ではなく、大地のようなからだのありかたを確かめ直すことがむしろたいせつなのだと思います。鷲田先生が、はなっから具体的な結果や表現ばかりを気にして、決断を急いだりあきらめたりする「前のめり」的な生き方を批判的に観察しているように、一途に舞台で作品を踊ることが目的なのではなく、たまさか出会った者、向き合った者同士が生み出す関係や磁場のようなものを動きとして抽出しながらなにかに気づいていくこと、大地の上を流れる気流のように見えなくても思いや気持ちがそこに流れたり淀んだりしている、そんなことを感じて認めながら、あらためて生きていける場面を生み出していくこと。坂本さんがコンタクトインプロヴィゼーションの魅力や意義や深淵さに気づいていった道のりには、こうした模索の背景があったのではないかな、と勝手にうなづいてしまうのでした。
わずかな語らいのひとときでしたが、坂本さんの飲みっぷりも凄い!目の前にビール瓶や一升瓶が増えていくさ中、あらためて醸成という言葉が似合うおひとだ、と思うことしきり。かつて檜舞台と観客席の間こそ「芝居」と呼ばれた空間でしたが、舞台芸術としてのダンスと同面(どうづら)の稽古場で展開するワークショップとの間にも「芝居」のようなもうひとつの踊りとそのための空間が存在するのではないかな、と気になっていたところ。ぜひそんな第三の踊りを創出していただきたい、と今後の御活躍を期待しながら、お互いさま、けっこうな酔いっぷりのお姿を年の瀬の街へお見送りしたのでした。
ダンスカンパニー・モノクロームサーカスのHP
http://www.monochromecircus.com/company/about.html
福岡市の文化芸術振興財団の定期刊行紙「わ」での一文「わたしの根っこ」
http://www.monochromecircus.com/blog/wa09.jpg
当時の指導の先生は後の京都国立近代美術館館長岩城見一先生。坂本さんが自分の居場所を生み出していくことをゆっくりと見守ってくれていた様子で、さらに話題が広がったとき、ヨージヤマモトを着込んだ阪大総長として大評判のメルロ・ポンティ学者鷲田清一先生も(坂本氏曰く)「研究室の先輩」なんです、とのこと。哲学という規範を修学しながらも、そこにからだや動きへの気づきが通奏として流れていたのは、こうした精神風土の背景にもご縁がおありになるのだなと思えます。
若い頃は心もからだもずいぶんと彷徨ったとのこと。表現活動模索の激動の過程は、その後「身体との対話」を深めていくために必要な旅や漂泊や相克だったに違いありません。
鷲田作品を通してあらためて感じざるを得ないこと、と坂本さんがお話くださる話には共通点が多々ありました。
知らぬまに制度化されてしまった私たちのからだの感性をより自然な感受媒体に還していくには、目的語を伴う「待つ」や「聴く」ではなく、大地のようなからだのありかたを確かめ直すことがむしろたいせつなのだと思います。鷲田先生が、はなっから具体的な結果や表現ばかりを気にして、決断を急いだりあきらめたりする「前のめり」的な生き方を批判的に観察しているように、一途に舞台で作品を踊ることが目的なのではなく、たまさか出会った者、向き合った者同士が生み出す関係や磁場のようなものを動きとして抽出しながらなにかに気づいていくこと、大地の上を流れる気流のように見えなくても思いや気持ちがそこに流れたり淀んだりしている、そんなことを感じて認めながら、あらためて生きていける場面を生み出していくこと。坂本さんがコンタクトインプロヴィゼーションの魅力や意義や深淵さに気づいていった道のりには、こうした模索の背景があったのではないかな、と勝手にうなづいてしまうのでした。
わずかな語らいのひとときでしたが、坂本さんの飲みっぷりも凄い!目の前にビール瓶や一升瓶が増えていくさ中、あらためて醸成という言葉が似合うおひとだ、と思うことしきり。かつて檜舞台と観客席の間こそ「芝居」と呼ばれた空間でしたが、舞台芸術としてのダンスと同面(どうづら)の稽古場で展開するワークショップとの間にも「芝居」のようなもうひとつの踊りとそのための空間が存在するのではないかな、と気になっていたところ。ぜひそんな第三の踊りを創出していただきたい、と今後の御活躍を期待しながら、お互いさま、けっこうな酔いっぷりのお姿を年の瀬の街へお見送りしたのでした。
ダンスカンパニー・モノクロームサーカスのHP
http://www.monochromecircus.com/company/about.html
福岡市の文化芸術振興財団の定期刊行紙「わ」での一文「わたしの根っこ」
http://www.monochromecircus.com/blog/wa09.jpg